もうあっという間に10年たちました。
まだ健常者だった10年前、オーストラリアの田舎町、メルボルンの近くシャパートンという所で私は車を運転中大きな木に正面衝突して首の骨を複雑骨折し、脊髄を損傷、胸から下と腕の半分が完全に麻痺状態になりました。
オーストラリアで手術をしてもらい、先生から「あなたはこれから一生車椅子生活になる」とオーストラリア訛りの英語で言われ、「これってよくドラマで見るやつじゃん」と心の中で思いながら、俳優になった気持ちで泣きました。
それから帰国し、日本の病院で約1年間の入院、自宅で生活できるようになってからも週に一回施設でお風呂に入れてもらう以外はほとんど家から出ませんでした。
約2年間引きこもり状態。
オーストラリアの広大な土地での自由な生活と、自宅の狭い部屋で過ごす不自由な生活のギャップが大きすぎてすぐには何か始められる気がしなかったし、例えていうなら玉手箱を開けてしまっていきなり寝たきりのおじいちゃんになったようなかんじで、とにかく絶望していました。
おしっこやうんちが我慢できずにチロチロブリブリ出てくるこの体でこれからどうやって生きていけばいいのだろう。こんな体で中学や高校の同級生にあえないし、可哀想な人だと思われたくない。何もできない自分が情けなくて親に「死にたい」と告げ、なんども泣かせてしまいました。
それから通院していた病院で自分と同じような怪我で車椅子生活になった50歳くらいの先輩に声をかけられ、障害者の就労支援をしている事業所に通うことになりました。
事業所に週に3、4日程度通いパソコンを使ってイベントのポスターのデザインなどをして少しばかりお小遣い程度ですが給料をいただきました。
そこでやっと社会に出る第一歩を踏み出して少しずつですが自信を取り戻していきました。
それまではいままでの自分を否定して障害者として新たに生まれ変わって生きていかなきゃいけないという感覚でしたが、だんだんとポジティブに考えれるようになって、「これまでと変わらずにいきていいんだ。」と思えるようになりました。
そう思えるようになってからは少し気持ちが楽になりました。
しかしその時はまだまだ障害者の自分を受け入れきれてはいません。
「もしあの時、事故らなかったら今頃…」
現実逃避。受け入れられていない証拠です。
当時27歳。
事故る前の計画では27歳までに世界を一周して日本に戻って来る予定だったので、人生計画通りになんて行きっこないと身を持って感じています。
そこで約2年間働いている中で車も運転できるようになり、外に出る機会も多くなって事故る前まで大好きだったお酒も外で飲んで、色々な人との出会いも増えました。
どんどん欲が出てきてなんでもチャレンジしてゆきます。
それで二十歳くらいに飲食店でバイトしていた時に将来自分の店を持ちたいと夢みてたこと思い出して、お店をオープンしようと決意しました。
今ではかなり無謀なことをしたものだと思いますが、当時の私はとにかく何にでもチャレンジしてみたかったので誰にも止めることはできません。
そして高校時代の後輩に声をかけ計画を開始、それから1年足らずでオープンすることができました。
オープンするだけなら簡単、そこから先は波乱の連続。
後輩は半年で辞め、売上は伸びない、夜遅くまでの仕事で体調は悪化。上手くマネージメントできず、雇用したアルバイトも長続きせずに辞めて、安定した経営はできません。
そして心も体もボロボロになって3年半で従業員が一人もいなくなり一人で営業するなんて不可能なので閉店ガラガラ、商売の厳しさを知りました。
その3年半で自分のできることとできないことがはっきりしました。
そしてこれからは無謀なことはせずに自分のできることで勝負していこうと考えています。
それは障害のある自分を受け入れたということなのかもしれません。
だとすると受け入れるまでに約10年間かかりました。
中途障害の人でも色々差はあると思いますが私が受け入れるまでは10年間かかりました。
はっきりいって長かったです。
中にはもっと受け入れるまでに長かったり一生受け入れられないままの人もいるのかもしれません。
だとすると長かったにせよ受け入れられた自分はラッキーでまた新たなチャレンジをできることも嬉しく思います。
そしてこれまで支えてきてくれた家族にとても感謝しています。
そして当時引きこもりがちだった自分を外に出してくれた友人にも。
これからの人生を家族や友人と共に楽しんでいこうと思います。